宮津城(みやづじょう)

宮津城の基本情報

通称・別名

鶴賀城、細川城

所在地

京都府宮津市鶴賀

旧国名

丹後国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

細川藤孝

築城年

天正8年(1580)

主な改修者

京極高広

主な城主

細川氏、京極氏、永井氏、青山氏、本庄松平氏

廃城年

遺構

曲輪、移築太鼓門、石垣

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

弓木城(京都府与謝郡)[5.6km]
谷垣城(京都府与謝郡)[8.6km]
中山城(京都府舞鶴市)[10.8km]
建部山城(京都府舞鶴市)[12.6km]
田辺城(京都府舞鶴市)[15.7km]
五箇城(京都府京丹後市)[15.9km]
伊根城(京都府与謝郡)[16.6km]
河守城(京都府福知山市)[16.9km]
泉源寺城(京都府舞鶴市)[19.5km]
行永城(京都府舞鶴市)[20.5km]

宮津城の解説文



宮津城(みやづじょう)は、丹後国与謝郡[1]宮津(京都府宮津市鶴賀)にあった日本の城。現存していれば日本の海城を代表する城であった[2]

歴史 

前史

国府のあった宮津の地は、古代より丹後の中心地であった。この付近には一色氏の本拠地があり、いたる所に支城や砦が築かれていた。1579年(天正7年)、細川藤孝と明智光秀は信長の命により、丹後国を侵略し、旧国主であった一色氏を滅亡させた。その功により細川藤孝には丹後国が与えられ、明智光秀には丹波国が与えられた。

一色氏の城であった宮津八幡山城に石垣を施し山麓に居所と家臣の屋敷を集め当初の本拠地としたものの信長の命により光秀の指図をあおぎ海岸に新城を設けることとなった。

藤孝は宮津城を築き、ここを丹後経営の中心地とした。

しかし藤孝は1582年(天正10年)の本能寺の変に際して明智家との非協力を内外に伝えるため出家し、幽斎と称して田辺城(現舞鶴市)に隠居した。その後の宮津城は幽斎の息子忠興の居城となるが、1600年の関ヶ原前夜、忠興が会津征伐へ赴いている最中に石田三成が、豊臣秀吉の遺命を無視する徳川家康の打倒を宣言した。細川家は徳川方に味方するが、これにより丹後細川領は西軍から攻撃を受けることになった。留守を守る藤孝は宮津城を放棄、焼き払った後に隠居所の田辺城に篭城し、後、勅命により開城した(田辺城の戦い)。

関ヶ原の戦い後、細川家は豊前国に転封した。

江戸時代

代わりに京極高知が関ヶ原戦いの戦功の恩賞として丹後国一国12万3千石を拝領し入封した。

高知は晩年、丹後の中心地をふたたび舞鶴から宮津城に移し、城もこの時に丹後一国を支配した国持大名丹後藩京極家の本拠地として大規模に改修された。

また、港湾も整備され北前船の寄港地として政治経済の中心として栄える。

晩年、高知は丹後藩を3分割し、本藩の宮津藩・支藩の田辺藩・支藩の峰山藩を創設した。宮津藩主になった京極高広は、さらに宮津城を大規模に改修し、本丸に七基の二重櫓をあげるなど、近世の城として宮津城を作り直した。なお、当初の田辺藩や峰山藩は丹後藩(宮津藩)の藩内の分家であり、独立した藩ではないという見方もある。

しかし京極家は3代当主・京極高国の時代に改易された。京極家は名家でもあったので、子孫は高家に取り立てられた。その後の宮津城は、徳川幕府の譜代大名によって永井家・阿部家・奥平家・青山家と目まぐるしく城主が替わったが、1758年(宝暦8年)に松平資昌が7万7千石で入封し、以後7代続いて明治維新を迎えた。

城郭 

城郭そのものは土の中に埋もれ見た目には姿を消したが、宮津市立宮津小学校に馬場先御門の太鼓門が残されている。

2004年(平成16年)の平成16年台風第23号による大手川の河川改修をきっかけに城壁復元に取り組み、2010年(平成22年)に完成した。併せて宮津城の太鼓門も宮津小学校裏門から正門に移築された[3]。また、京都府与謝郡与謝野町の愛宕神社拝殿は、宮津城内にあった殿舎の玄関を移築した唐破風の建物である。

遺構

  • 石垣、太鼓門
  • 大手川に沿った城壁(近年の再建)
  • 御殿の玄関(隣り町の神社へ移築)
  • 東側 南東側の外濠

関連建造物

  • 武家屋敷跡 - 公園に細川ガラシャ像が建つ。

交通 

  • 京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮津駅下車、徒歩10分

宮津城の口コミ情報

2023年12月09日 池田紀伊守信輝
天橋立駅観光案内所[宮津城  御城印]



宮津城太鼓門と天橋立がデザインされている。左下の印字は「宮津城御登城記念印」と書かれている。

2023年10月09日 織田上総介晃司
八幡山城[宮津城  周辺城郭]

猪岡八幡宮鳥居の横に駐車場があり停める。
ただ、軽四は楽に停めれますが普通車だと少し車道にはみ出る感じなので登城中も当て逃げされないか気になってました。

鳥居をくぐるとすぐに獣よけのネットがあるので開けて入る。(必ず閉めましょう)
山道を進むと猪岡八幡宮の本殿があり、本殿の右横から八幡山城めがけて進みます。
主郭には所々石垣が残っており、主郭下の見張り台からは天橋立が一望できます。(しかもほぼ貸し切り状態)

帰り道で少し迷うので位置関係をしっかり把握しながら下山しましょう。まさに「行きはよいよい帰りは怖い」です。

宮津城を築くまでの間、細川藤孝(幽斎)・忠興父子が入城してました。

宮津の観光地といえば、何はさておき日本三景・天橋立。
天橋立近くは人が多く、天橋立ビューランドも人でごった返し。
人混みが苦手な方は八幡山城に登って天橋立を見ましょう。先ほども言った通りほぼ貸し切り状態です。

2023年10月09日 織田上総介晃司
宮津城

車は宮津市役所に停めるのがベストかな…

宮津小学校の正門として移築された太鼓門(宮津城唯一の現存遺構)と大手川の模擬城壁(護岸堤防)を見るため小学校のそばに路駐。サクッと見学。サッと撤収。

2023年04月11日 黄金船兵部卿
宮津城

跡地と復興城壁が少し離れているのが少し面倒。

2023年02月06日 気分爽快信濃守
八幡山城[宮津城  周辺城郭]



丹後攻略のついでに、一度行こうと思っていた八幡山城を訪れました。猪岡八幡神社を目指して登り始めると両側が谷のような大きな自然の竪堀? に驚かされます。城内は10近い段郭が最上段の主郭まで連なっています。一つ一つの段郭は独立していて、特に主郭とニ郭の切岸は高く鋭いです。主郭の周りには一部石組も残されています。主郭北側の物見台からは、天橋立が望めました。

①ニ郭北の切岸
②主郭の石垣。隅石か?
③主郭を南から
④主郭の石垣
⑤天橋立を望む
⑥⑦このような郭が連なる
⑧登り口脇の谷

2022年09月08日 ひろすけ
宮津城

城跡など何もなく、ただの病院でした。想像を掻き立てる何ものもありません。

2022年06月05日 陸奥守新九郎
宮津城



総じて遺構の残りは良くありません。でも、わずかながらもそこかしこに名残を残すお城ですので、ぜひ見つけて(気づいて)思いを馳せてください♩

2022年05月08日 戸沢夜叉九郎正樹
宮津城



遺構はほとんどありませんが、僅かに太鼓門が宮津小学校に残っております。又、少しだけ石垣が地面から露出している場所がありました。

2021年07月09日 まさじぃ丹波守
宮津城

城廻りをする合間にその場所の名産品や食事を楽しむのも、可なり良いかも‼️
因みに今の時期の宮津は岩がきがおすすめですよ。

2020年08月31日 ビーンズマン中務大輔
宮津城

お城の門が、小学校の門として残っています。

2020年08月24日 ko+
八幡山城[宮津城  周辺城郭]



丹後国最大級の山城

猪岡八幡神社の参道入口鳥居近くの駐車場を利用させて頂きます。
縄張図もこちらにあります。
公共交通機関利用の場合は、宮村駅から徒歩5分強です。

麓の鳥居から約10分登ると猪岡八幡神社に、更に約15分登ると山頂主郭に至ります。

城域最高所の主郭と考えられる郭には石垣が築かれる。
主郭から南は削平地と堀切、八幡神社から最高所へと続く階段状の郭の中間辺りから北、北西の尾根に郭群が展開。

一色氏にかわり細川藤孝が入城。
その後、細川氏が宮津城を築城するまで、丹後平定の拠点となった。

写真は ①猪岡八幡神社参道鳥居、②③④主郭石垣跡 、⑤巨石が転がる主郭南削平地 、⑥郭を仕切る大土塁、⑦西階段状郭切岸、⑧主郭北郭から望む天橋立 です。

整備された登山道を登ると、丹後国のお城跡の特徴なのか高く鋭い切岸、そして主郭では丹後国では珍しい石垣が迎えてくれます。
ワクワクする遺構と、主郭北郭からの天橋立の絶景、オススメです。

2020年08月04日 よっしー@横濱
宮津城



【御城印】
天橋立駅の観光案内所にて購入(300円)しました。宮津駅ではないのでご注意を。
期間限定(2021年3月までの予定)、枚数限定(なくなり次第終了)のようです。
販売は、道の駅海の京都宮津の観光案内所、
重要文化財旧三上家住宅などでもしているみたいです。

2019年05月11日 大納言Z武蔵守369
たもの木[宮津城  遺構・復元物]



宮津城の北東端にあたり、城郭北壁の海岸線を示すもので、内堀が海に注ぐ出口らしい。
それにしても、この木の下は鳥の糞だらけでとても汚れていた。

2019年05月11日 大納言Z武蔵守369
一色稲荷神社[宮津城  寺社・史跡]



細川忠興によって滅ぼされた一色氏の鎮魂のために宮津城内のこの地に建てられたという。

2019年05月11日 大納言Z武蔵守369
細川玉子「祈り」像[宮津城  その他]



背後に建っているのは、カトリック宮津教会

2019年03月13日 渡るぞ有明海征夷大将軍クララ姫
宮津城

城跡地域は宮津市の中心地であり、駅・市役所・警察署・農協などがあります。お薦めのお店は、宮津駅前に富田屋(とんだや)という海鮮を中心とした食堂があります。お薦めです。

2011年11月13日 中務大輔播磨の将軍
宮津城

宮津城の太鼓門は、宮津小学校の校門になっています!

2010年06月21日 徳川内大臣源朝臣康武
宮津城

大手川沿いの三ノ丸、駅前の観光案内地図には「城壁を復元」と書いてあるけど、全然復元じゃない(笑)写真アップしてます。
けど、コンクリートの護岸よりははるかにマシか

宮津城の周辺観光情報

岩見重太郎仇討ちの場

剣豪として名高い岩見重太郎が、父の仇として広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川八左衛門の三人の仇討ちをしたと伝えられている場所です。この場所には、仇討ちの試し切りにしたといわれる石が現在も残っています。

天橋立ワイナリー

館内に入ると、ガラス越しにドイツ製の醸造タンク・瓶詰室を見学できるほか、地下セラーの見学もできます。(団体は要予約)果汁からワインへの変身の瞬間をぜひ味わってください。(数量限定)

元伊勢籠神社

伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれる古社で山陰道唯一の大社であり、最高の社格と由緒を誇っています。

傘松公園

成相山中腹にある公園で、天橋立を北側から一望できる展望所です。ここからの眺めは、天橋立が昇り龍のように見えることから「昇龍観」と呼ばれています。天橋立を股の間からのぞくと天地が逆転したように見える「股のぞき」発祥の地としても有名。

情報提供:宮津市観光まちづくり推進室観光推進係

宮津城の周辺スポット情報

 復元城壁(遺構・復元物)

 たもの木(遺構・復元物)

 移築太鼓門(遺構・復元物)

 外堀(大手川)(遺構・復元物)

 旧大村邸長屋門(遺構・復元物)

 大手橋(遺構・復元物)

 外堀(大膳川)(遺構・復元物)

 旧三上家住宅(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 今林家住宅(遺構・復元物)

 黒田家住宅(遺構・復元物)

 漱玉亭跡庭園(遺構・復元物)

 旧大村邸武家屋敷(遺構・復元物)

 石垣(大手川)(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 三の丸跡(遺構・復元物)

 中橋(遺構・復元物)

 鉄御門跡(遺構・復元物)

 礼譲館跡(遺構・復元物)

 本丸石垣跡(遺構・復元物)

 宮津城碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 旧大村邸説明板(碑・説明板)

 宮津城の城壁復元と太鼓門の移築事業(碑・説明板)

 宮津城跡第三次発掘調査地(三の丸西部)(碑・説明板)

 八幡山城(周辺城郭)

 惣村城(周辺城郭)

 一色稲荷神社(寺社・史跡)

 本庄氏御霊屋(大頂寺)(寺社・史跡)

 寺町(寺社・史跡)

 天橋立(寺社・史跡)

 洗物聖ヨハネ天守堂(寺社・史跡)

 和貴都神社(寺社・史跡)

 山王宮日吉神社(寺社・史跡)

 元伊勢龍神社(寺社・史跡)

 成相寺(寺社・史跡)

 智恩寺(寺社・史跡)

 丹後国分寺跡(寺社・史跡)

 天橋義塾跡(寺社・史跡)

 法音寺(寺社・史跡)

 智源寺(寺社・史跡)

 天橋立駅観光案内所(御城印)

 宮津市 観光交流センター(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 みやづ歴史の館(関連施設)

 天橋立駅観光案内所(関連施設)

 丹後郷土資料館(関連施設)

 細川玉子「祈り」像(その他)

 しらかべの道(その他)

 飛龍観展望(その他)

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