諏訪氏城館(すわしじょうかん)

諏訪氏城館の基本情報

通称・別名

諏訪氏城[上原城・桑原城(高鳥屋城、水晶城)]

所在地

長野県茅野市ちの上原他(地図は上原城を示す)

旧国名

信濃国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

諏訪氏[すべて]

築城年

室町時代[上原城]、不明[桑原城]

主な改修者

板垣信方[上原城]

主な城主

諏訪氏[すべて]、板垣信方(武田氏家臣)、長坂虎房(武田氏家臣)[上原城]

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)[すべて]、石垣[上原城]

指定文化財

県史跡(諏訪氏城跡)

再建造物

石碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

高島城(長野県諏訪市)[4.7km]
有賀城(長野県諏訪市)[6.2km]
朝倉山城(長野県茅野市)[6.6km]
花岡城(長野県岡谷市)[10.0km]
藤沢城(長野県伊那市)[10.3km]
山吹城(長野県諏訪郡)[10.5km]
上ノ平城(長野県上伊那郡)[15.8km]
福与城(長野県上伊那郡)[18.3km]
先達城(長野県諏訪郡)[19.4km]
高遠城(長野県伊那市)[21.1km]

諏訪氏城館の解説文

諏訪氏城館は代々、諏訪大社の大祝を務めてきた一族である諏訪氏が信濃国諏訪郡に築いた城館(上原城・桑原城)の総称。これら城館をまとめて「諏訪氏城跡」として長野県の史跡に指定されている。

上 原 城 

金毘羅山の山頂及び中腹に築かれた居館からなる諏訪家の本拠。

文正元年(1466)頃、諏訪信満が築城し、5代70余年にわたり諏訪地方を統治したと考えられている。

天文11年(1542)に諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされると、同地は武田氏の領国化となり、板垣信方らが入り上原城は武田家の信濃支配の拠点のひとつとなる。天正10年(1582)の織田氏によって武田氏が滅ぼされると廃城となった。

桑 原 城 

信濃国諏訪郡(長野県諏訪市四賀桑原)にあった山城。高鳥屋城(たかとやじょう)、水晶城などとも呼ばれる。

築城年は不明。前述の上原城の支城として諏訪氏家臣の桑原氏が居していたと考えられている。

天文11年(1542)、武田信玄が諏訪に侵攻し、諏訪頼重の本拠である上原城を攻撃した。頼重は上原城を持ちこたえられず桑原城に逃れた。しかし、武田軍の勢いの前に多くの士卒が離脱し抵抗が困難となったため、武田軍の軍門に降った。頼重は弟・頼高らとともに甲斐に移され、後に東光寺で自刃させられた。その後、上原城・桑原城ともに武田氏の支配下となるが、桑原城はほどなくして廃城となったと考えられている。

現在、標高981mの山頂を中心に、曲輪・土塁・空堀などの遺構が残っている。また、城跡から諏訪湖を一望することができる。

諏訪氏城館の口コミ情報

2023年10月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
諏訪大社上社前宮[諏訪氏城館  寺社・史跡]



諏訪大社上社前宮は諏訪氏城館の南西約2.4km、諏訪盆地の南東域、標高約804mの山間鞍部緩斜面上平場に立地する神社です。諏訪大社は信濃国一宮にして全国約二万五千社ある諏訪社の総本山、武神として信濃武士の尊崇を集めたのは言わずもがな…

行き方は…説明する必要が無いぐらい有名な神社なんで割愛しやす。

創建年代は不明、日本最古の神社の一つとされるらしい。てか寺社の知識は持ち合わせていないし、調べてみると殆ど神話の様な話にもなったりするので割愛しやす。素人が簡単に手を出しちゃいけない世界っすわ…

城友1「かずり!?けっ、あんな俗世間に塗れたJr.アイドルが有名な神社の口コミかよ、メンズエステでも紹介しとけやっ!」

城友2「かずりん、煩悩の塊の様な美少年のくせに神聖な場所に平気で立ち入るなんて厚顔無恥も甚だしい。今度ばかりは許せないわ…」

…て、┻━┻ヘ(*`Д´)ノオリャー!!!

言っときますけど城めぐユーザーでこんなにも神を身近に感じてる男前もいないわっ!おいらが今までにどれだけの秋葉社や愛宕社、八幡社、御嶽社、山の神を参拝(殆どが小社で廃社…)してきたと思ってるんだっ!しかもっ!道祖神遭遇率は世間一般、全国的に見たって突出しちょるっ!リア攻めの時に小社や祠を前にすれば、「こんにちわ〜お邪魔します〜」と挨拶して、リア攻めが終わったら、「戻って来ましたよ〜ありがちょ。」と報告、帰り際には自分の事はさておき、「いつまでも此処にありますよ〜に。」と心に祈って下山する(話し相手が居ない。)。我ながら可愛いぐらい実際は信心深いのじゃっ!

…諏訪大社には四社が並び、上社の本宮、前宮と下社の春宮、秋宮で構成されている。個人的に前宮だけは今までに訪ねた事が無く、当日雨天のために山城登る気が失せた自分は取りこぼしの前宮を参拝する事に決めた。他にも理由はある。中世から戦国時代の信濃の歴史を調べる上で諏訪大社を無視する事は到底不可能、様々な文書でその名が登場する。中世信濃を語る上での第一級史料、「諏訪御符禮之古書」を読解するのは既に自分の中で密かな愉しみにもなっていた。

前宮は四社の中で最も歴史が古く、諏訪大社のホームページには、「御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。」とある。かつて祭事の中心地であり大祝の居館地でもあった。観光資源としての上社のメインは本宮だけど、張り詰めた神聖な空気の中の前宮の方がおいらは好きー

越後との境目である水内郡志久見郷を本貫地とする市河氏(城めぐ的にはアプリ登録城である仙当城で有名な筈…)当主、市河盛房は元亨元年(西暦1321年)十月廿四日、一族宛に置文を残しているが、その文書中に次の一条がある。即ち、「…諏訪御頭あらん時ハ、みなうちつれて身の大事とさハくるへし、…」とあり、続く一文では六郎(助房)を頭に一族が協力(惣領制である。)して事に当たるよう注文する。盛房が諏訪社の祭事の頭役に際して一族が取るべき行動に言及したて事はその影響力の大きさを物語っているんだろう。

※上社の本宮は諏訪市の内、下社の春宮、秋宮は諏訪郡下諏訪町の内、この前宮は茅野市の内である。

※諏訪湖の御神渡りは気温−10℃を下回る日が3日続けば見れるんだそう。近年は地球なんちゃら化の影響で絶望的らしい。ちなみに御神渡り拝観の儀の次第は上社から古くは朝廷、鎌倉時代以降は幕府に報せ(御神渡注進状)ていた。

※なんせ参拝客の流れが止まらない…本殿の写真を撮るために雨中を小1時間待ち続ける…

2022年08月15日 ばらく~だ
諏訪氏城館



上原城は板垣平から林道を2キロ程登った所にありますが、整備が行き届いていて、見学しやすいです。規模はそれほど大きくないので、諏訪大社や、近隣のお城とあわせて、見学するのがよいと思います。

2022年04月22日 伊豆守十郎
諏訪氏城館

上原城攻め。板垣平からあまり整備されていない落ち葉の中を巨石群を眺めながら行軍。主郭近辺は整備されて堀切も高く見応えあり。

2021年12月18日 装鉄城大膳大夫乱怒
諏訪氏城館



下諏訪駅から3分ほどの駐車場にて電動レンタサイクル借りました。茅野方面までひたすら進み、自転車で登れば40分ほどで城跡まで到着。城跡には巨大な物見岩があります。

2021年07月13日 愛甲太閤【相模の狂人】
齢松山城[諏訪氏城館  周辺城郭]



茅野の市街地のすぐ裏山に構えている城ですが、主郭の説明板など整備された跡があるのに入口がまったく見当たらないのが不思議です。山裾には城山団地に抜けられる整備された山道が通っていますが、そこから郭内まで、どこから登っても完全なヤブを突破する必要があります。斜度は西側斜面の方が緩く、山裾の道から一段上の平場にような場所に登り、主郭北辺から落ちてくる竪堀が良い目印になります。

西側からヤブの斜面を登ってゆくと、突然視界がひらけて真ん前に主郭の切岸が見えてきます。目の前に曲輪が広がり、このあたりはヤブがなく主郭はかなりの迫力です。南側には竪堀が落ちています。
主郭は完全なヤブで、説明板が立っていますが埋もれてしまいそうです。ところが東側の切岸と北側の堀切には全くヤブがなく、不思議です。どちらも絶景でお勧めのスポットです。

近くに駐車場が無いので、少し離れた何処かに置いて歩く必要があります。それと取っ掛かりのヤブだけ突破できればお勧めの城と言えるでしょう

2021年03月06日 銀猫甲斐守美和♬
諏訪氏城館



城郭情報は、すでに満載なのでアクセスと周辺情報を記載いたします。

城へのアクセスは、県道192号側から永明寺山公園に入った方が、片側1車線道路なので安心して通れます。頼岳寺経由だと、車一台分しか道幅がないため、対向車がいた場合、すれ違いが困難です。駐車場は永明寺山公園が便利です。数十台駐車可、トイレあり。

上原城は、支城として北に桑原城、南東に鬼場城、東に埴原田城を要した城です。城単体での城郭面積は大きくありませんが、永明寺山を基点とした、城郭郡として捉えれば納得の面積です。

永明寺山をハブとして、現在でも当時の城間連絡道があるので、各城へは徒歩で回ることもできます。道は明瞭なので、時間があれば行ってみるのもありです。(pic2・3)

また、上原城の水の手は、永明寺山から木管を使って引いていたと記述がありましたので、山自体が非常に重要な拠点であったことは間違いなさそうです。
山頂展望台の眺望もキレイなので、ぜひ行ってみて下さい。(pic1)

それから、諏訪湖近くではなく、茅野に城を構えたのは、地理的な影響が大きいように感じます。ここは、諏訪大社上社があり、かつ甲州街道、大門街道、杖突街道がそれぞれ交差する要衝の地です。そう考えると、諏訪家が茅野を選んだのも納得です。

以上、攻城に際して、お役に立てれば幸いです。

2020年04月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
鬼場城[諏訪氏城館  周辺城郭]



鬼場城は諏訪氏城館(上原城)の東方約2.1km、標高1119.6mの永明寺山から南西へ延びる標高約908mの支尾根上端部に主郭が存します。南麓からの比高は80m位でしょか。現地に赴けば要害の地であることは一目瞭然で、東麓に北方から流れてくる上川と東方から流れてくる柳川の合流点を持ち、この川は合流した後に南方へ流れて諏訪湖に注いでいます。又、眼下には大門街道が南北に走り、古くから交通の要衝でもありました。現代でも複雑な交差点が城下に存し、地元の方以外には優しくない交差点となっています。

築城年代、築城者は不明ですが、武田氏時代には諏訪氏の庶流、矢ヶ崎和泉守が城主もしくは城代として伝えられています。南麓には居館跡(土佐屋敷)もあったらしいのですが、遺構は消滅しているらしく自分も見ていません。鬼場城は近年発掘調査結果が纏められネットでも閲覧出来ます。自分は少しだけ読みました。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南麓の御座石神社を目標に設定して下さい。駐車も出来ます。この神社から交差点を挟んだ北側の山が城山となり、大変珍しい交差点の裏山系に属することになります。急坂ではありますが、この交差点付近にお城へ取り付く道が付いていて、主郭まで10分は掛からないでしょう。ちなみにお城の西側には造成された住宅地が広がっていて、こちら側からも登城可能です。こっちは殆ど登る事もない楽ちんコースですが駐車場所に困るのでやめときましょう。

お城は素晴らしいです。郭は大きく見て3つで相当数の段郭、帯郭状の腰郭が付いてます。通称本郭はほぼ全周が土塁囲みで、通称ニ郭は城域内最大の削平地、現在は送電線の鉄塔で櫓を組んでます。最大の見所は通称本郭西側山側背後の三重堀切で、明瞭なぽこぽこ感が今もはっきり残っています。交差点の裏山、住宅地の隣りにこんなのがあるなんて少しびっくりしますね!そして城域西端は通称三郭を経て二重竪堀でフェードアウトするらしいんですが、自分竪堀よく判らなかったです…

全国的に見ても最も楽に確認出来る三重堀切だと思います。堀切ファンはもちろん、山城を普段論外としている方もいっぺん試しに訪れてみて下さいまし。

2019年05月27日 愛甲太閤【相模の狂人】
諏訪氏城館



上原城は、林道から入ってすぐのところに横たわる巨大な堀切の他は素朴な山城の趣で、土木遺構に目を見張るものは少ないですが切岸はしっかり築かれています。初夏には満開のヤマツツジが迎えてくれます。

2019年05月26日 愛甲太閤【相模の狂人】
諏訪氏城館



館の詰城にあたる上原城に踏み込んで少し進むと、いきなり巨大な堀切が現れる。巨大すぎて、それと気づかずに通り過ぎてしまいそうなほどだ。

2019年05月03日 ひで丹波守
桑原城登城口[諏訪氏城館  碑・説明板]



ここに数台駐車可能。

2019年04月30日 赤かぶ【】
諏訪氏城館



上原城 三の郭にあります。東方にある永明寺山よりヒューム管により引水された水がこんこんと湧出ておりました!

2017年08月21日 日向伊賀守長門
諏訪氏城館

セットでの見学をお勧めします。
【上原城跡】
車で三の郭近くまで行く事が出来ますが道幅が狭くなる箇所がありますので注意して下さい。
物見岩や竪堀、堀切等、見所満載です。
【桑原城跡】
山頂近くまで車で行く事は可能ですが普通車や街乗り4駆では無理です。
LOWレンジ装備の4駆なら楽勝です。
先人様が掲載されましたが急勾配です。
登れたとしても下りが危険です。最大斜度が12、13度程ありました。
主郭、二の郭からの眺望は素晴らしいです。
堀切も見応えがあります。

2017年05月09日 青コアラ美濃守
諏訪氏城館

【桑原城】
R20号の四賀交差点を山側に入り、少し登ると右側に城への登り口があります。そこに説明板があり、車も数台止められます。
車でさらに上まで行くことも可能ですが、道がボコボコかつ急勾配な為、お勧めは出来ません。(歩いても15分程度です)
ジムニー的な車なら楽勝でしょう。
林道終点にも駐車場があります。
主郭・副郭は草が刈られていて眺望もよく、雰囲気のいい所でした。

2015年11月27日 カーネル
諏訪氏城館

中央線の上諏訪駅から高島城を見学。その後、国道20号を南下。歩道が狭いところがあるのでご注意

信号「四賀普門寺」で左折して、桑原城の山すそを歩いていると、山頂の北西のあたりに標識はないけど山の中に入っていく踏み跡があるので、ここを登っていくと、桑原城への標識があり、そのまま登ると鉄塔にでます
ここまでは鉄塔の整備道だったのか歩きやすかったのが、ここから上は道が明瞭でなくなります。そのまま尾根を登り頂上を目指すと二の丸下の曲輪にでます。本丸を経て反対側に下ると立派な道があり桑原口に降りれます

登山口から南下して一里塚の石碑を過ぎると、上原城の看板が出始めるので、それに従って進むと麓の城館跡にでます
ここから車道で上原城まで登れますが、登山道もあるのでこちらから登りました。途中にある大岩が見どころかも
登り詰めると青麻神社にでて、城の石碑もあります。東へ行くと空掘りを経て車道に出れます。が登山道で帰りました

上諏訪駅から高島城・桑原城・上原城を経由して茅野駅まで歩きました。全部で4時間30分くらい

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2012年12月24日 征夷大将軍速水右近
諏訪氏城館

景色の良い雪道をスタッドレスタイヤで20分で登れるが、途中ガードレールの無い所はかなり危険。

2012年06月07日 三日左馬助落人
諏訪氏城館

写真にある看板の場所までで行くことができ、2台分程度のスペースもあります。
見所は、登りはじめてすぐ目に留まる二重の竪堀と大堀切、それに古代の石座(イワクラ)の名残を留めるような巨石「物見岩」でしょうか。
諏訪氏の本拠だったにしてはやや手狭な印象ですが、眺望は素晴らしいです。

諏訪氏城館の周辺スポット情報

 桑原城登城口(碑・説明板)

 鎌倉街道案内板(碑・説明板)

 鬼場城(周辺城郭)

 干沢城(周辺城郭)

 桑原城(周辺城郭)

 武居城(片山古城)(周辺城郭)

 齢松山城(周辺城郭)

 上原城(周辺城郭)

 中世諏訪氏居館(大祝家神殿)(周辺城郭)

 長沢権祝邸(周辺城郭)

 祢宜太夫邸(周辺城郭)

 副祝邸(周辺城郭)

 伝・祢宜太夫邸(周辺城郭)

 伝・権祝邸(周辺城郭)

 神長官邸(周辺城郭)

 大道上の擬祝邸(周辺城郭)

 伝・擬祝邸(周辺城郭)

 前宮神殿(周辺城郭)

 宮田渡 大祝邸(宮田渡 神殿)(周辺城郭)

 西茅野 式部屋敷(周辺城郭)

 伝・茅野氏館(周辺城郭)

 茅野城(駒形城)(周辺城郭)

 御天城(御天上・御殿城)(周辺城郭)

 牛首砦(周辺城郭)

 シラザレ山陣場(周辺城郭)

 元町 殿屋敷(周辺城郭)

 土佐屋敷(周辺城郭)

 埴原田城(茶臼山城)(周辺城郭)

 粟沢城(和田城・御陣屋・御屋敷)(周辺城郭)

 舎人屋敷(トネ屋敷・トノ屋敷)(周辺城郭)

 神之原式部屋敷(周辺城郭)

 小泉山(周辺城郭)

 古田城(寺山)(周辺城郭)

 古田氏屋敷(周辺城郭)

 伝・古田氏屋敷(周辺城郭)

 高根屋敷(周辺城郭)

 上古田 小尾氏屋敷(周辺城郭)

 米沢の丸山(周辺城郭)

 監物屋敷(周辺城郭)

 長林砦(周辺城郭)

 頼岳寺(寺社・史跡)

 諏訪大社上社前宮(寺社・史跡)

 武居畑遺跡(寺社・史跡)

 高部遺跡(寺社・史跡)

 永明寺山公園内トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 永明寺公園駐車場(駐車場)

 干沢城入口(その他)

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